QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです。
インフォメーション

ご当地ブログパーツ「たいやきさん北海道版」お持ち帰りはこちらから!
【北国tvからのお知らせ】
【はじめての方へ】
初投稿までの流れ
【困ったときは…】
ヘルプ
北国みんなの掲示板
【メルマガバックナンバー】
北国メルマガニュース
【函館開港150周年企画】
函館開港150周年・港町ブログ
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
忍者 悟
オーナーへメッセージ

2007年06月06日

最低限の生活保障は、自堕落な生、活力減退を防ぐ方法の一つ。

 年金支給漏れ問題により、社会保険庁に電話相談が殺到したのだという。

 年金については私は詳しくないが、年金がしっかりと支給されなければどのような問題が生じうるのだろうか。

 しっかりと収めているのに支給されないという事になるのであれば、何のために収めてきたのか、老後はどうなるのか、という事になるのであろう。そしてそれは、真面目にやっているのに報われないといった類なものになりうるだろうから、真面目に働く気力を失わせる事に繋がるのではないかと思う。言い換えるならば、自堕落な生、活力減退の要因になるのではないか。

 だが逆に、真面目や努力をしていないのにも関わらず保護をするのは、これはこれで自堕落な生、活力減退の要因となるのであろう。「頑張っても報われない」というのも問題であろうが、「頑張らなくても報われる」のも問題があるであろう。

 となれば、「最低限の生活保障」が自堕落な生、活力減退を防ぐ一つの方法になるのではないかと思う。

 そこで最後に活力について少し触れれば、活力というものは善悪の二分類ができるのではないかと私は考えている。犯罪・悪徳を為す事が活力の表れと見なす事ができるという事であれば、無際限に活力礼賛はできないのであろうと思う。
  

Posted by 忍者 悟 at 08:36Comments(0)TrackBack(0)社会

2007年06月05日

談合批判は、競争による弊害を見定めた上で。

 最近、談合事件のニュースを多く見かけるようになった。

 談合によって生じる弊害については、それはそれで解消に努めていくべきなのであろう。

 だが、談合否定というのは競争肯定の思想に繋がっていくのではないかと思う。そしてその競争は競争で弊害が考えうることなのではないかと思う。そしてその事については過去に私のブログ「競争過剰→費用削減→品質低下」という連鎖可能性と題して書いたりもした。

 そこで思う事を書けば、談合による弊害と競争による弊害を見定めた上で制度設計をするのが大事なのではないか。

 だが現状における談合批判は、競争による弊害が軽視されがちであるように思う。
  

Posted by 忍者 悟 at 08:34Comments(0)TrackBack(1)社会

2007年04月01日

国際大会というテーマで。

 1、解説において

 国際大会のスポーツの解説で、「よいですねー」とか「やったー」というのを聞くと、私は、帰ってくれ、と思ってしまう。
 というのは、その程度であれば私でもできるし、その辺りにいる人を捕まえて解説させればいいのではないかと思うのだ。
 「よいですねー」というのは悪いとは思わないが、何故にそれは良いのかという事について語られていないのではないかと思ったりする。そして何故にそのようになってしまうのかと考えれ、日本を応援したいという感情が強く働きすぎてしまうあまりにそのようになってしまうのであろうと思う。とにもかくにも、私はそのような解説は好めないし、良い解説だとも思えない。
 それともう一つ思う事を言えば、私はプロ野球が好きなわけであるが、プロ野球をテレビで観戦していると、うちの母ちゃんに熱心に解説している私がいる。
 では何故に私は解説するのかと考えると、まずその回答を言うと、選手が可哀想だなと思ってしまうからだ。
 もう少し言うと、プロの選手は当然ながら頑張っている。頑張っているのにも関わらず、良いプレーをしたのにも関わらず観戦者がそれに気づかなかったら、プロの選手は一体何のために頑張ったのかという話になってくるのではないだろうか。
 別の例えでいけば、ある子供が頑張って勉強してテストで100点を取ったのに、誰にも気づかれなかったらどうであろうか、という事である。
 そのような事を思う私としては、単に「よいですねー」とか「やったー」なる解説を聞くと、何か腹立たしいものを感じてしまうのだ。国際大会の解説者になる人というのは、そのスポーツに実際に携わった者たちがほとんどであろう。にも関わらずそのような解説をしている人をみれば、とある監督の声真似をしていえば「シンジラレナーイ」と感じたりもする。

 2、健全な楽しみ方とは

 そういうのもあって私は、スポーツ自体を楽しむのならば、国際大会よりも国内大会の方が楽しめるのではないかと思った。
 というのは、国際大会ならば自民族の勝ち負けにこだわりすぎるためで、スポーツ自体の面白さは伝わってこないのではないかと思うためである。国内大会であれば、その要素は剥ぎ取られるのではないかと思うため、スポーツを楽しめるのではないかという事だ。
 では私という人間はスポーツの何が楽しいのかといえば、私は選手の感情や精神を考察するのが楽しいのである。そしてその事が、国際大会では減じられて伝えられがちなのではないだろうか思うわけだ。かといって、決して国際大会の選手たちが悪しき感情や精神でプレーしているのだと言っているのではない。ただとにもかくにも、私は自民族の勝ち負けよりも、選手の感情や精神の考察に時間をかける、もしくはそれを楽しむ事が有意義なものがあるのではないかと思うのである。
 そこで私が思うに、「感情・精神(の領域)→能力・技術(の領域)→表現・結果(の領域)」、これを「表現・結果に至るまでの三段の流れ」と名づけよう。そして国際大会というのは国内大会と比べて、「表現・結果の領域」に対して照射され過ぎになるのではないか、という事だ。
 そしてそれを緩和するのは、解説者やそれに対しての専門知識が蓄えられている著書ではないかと思う。そしてそれが、「能力・技術の領域」に理解に繋がるわけだ。そして、「感情・精神の領域」に歩みを進める事ができるのではないか、という事である。
 それらをまとめれば、「表現・結果(の領域)→能力・技術(の領域)→感情・精神(の領域)」という「感情・精神を見出すための三段の流れ」があるのではないか。そしてそれが、私はスポーツのみならず、あらゆる事柄において健全な楽しさや面白さや喜びを見出すものなのではないかと思うのである。
 そしてこの「感情・精神を見出すための三段の流れ」が成立していない状態(もしくは、表現・結果に過剰に拘る事)」から生じる弊害は、自民族中心主義、新奇なものに対する熱狂、道徳心無き勝負の拘り、その他としてはホイジンガのいう小児病(引用文はこちら)に繋がるのではないか、という事である。
 それとちなみに、右寄りの方面からは、国際大会が愛国心を喚起するものだとかで歓迎的に受け取られる向きがあるようではある。だが、このように思う私からすれば、とても歓迎する気にはなれないのである。
 最後に、愛についてここで簡単に触れれば、私は愛という言葉が、正気と狂気のその双方に置いて動揺しており、愛という言葉が正気の位置に定められていないで使用されているのではないかと思われる。だから私は、愛という言葉を狂気性を拝し正気へと位置づけるための定義を形成する事、またはその作業が大事なのではないかと思われる。  

Posted by 忍者 悟 at 00:00Comments(0)TrackBack(2)社会

2007年03月28日

戦争と戦後の唄

 テレビで昔の唄の特集といったものを観る時がある。
 それは、私の聞く限りにおいては、戦争が終わった事への安堵感、そしてそういったものの中から、命の大切さなる解釈が編まれたりする。
 確かに、戦争が終わった事に対しどこか安心というか、そういうものがあったのだろうとは思われてくるため、その事についてはどこまでも強く文句を言う気にはなれない。
 だが、日本を守るために戦った者たちがいたわけで、そういう人たちに対し、命の大切さといったところで彼らは報われるのだろうかと思われてきたりもする。それと、民族の精神や誇りといったもの、そういう観点からの唄が当時は乏しかったのではないかとも思われた。
 そのようにあれこれと考えると、戦死者に対して失礼ではなかったか、という思いが私には拭えなかったりするのであった。
  

Posted by 忍者 悟 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)社会

2007年03月23日

レンタルを思う。

 車に乗ってふらついていたら、「レンタルDVD5本で1000円」だったか、そのように書かれた看板を見た。つまりは一度に一本借りるよりも五本借りた方が料金はお得である、とその看板は言わんとしたいんだろう。
 それを見たとき、私は「レンタルする人というのは、一度観終わっただけで返却する人はけっこういるのではないか」などと思った。
 私は読書が好きな方になるのであろうが、興味のある本があったら何度でも繰り返し読む。小学生・中学生あたりの頃は、漫画や音楽CDを何度も繰り返して読んだり聞いたりしていたものだ。そしてその繰り返しが、自分にとって良きものをもたらしたのではないかという気がする
 そのような事を思うと、レンタルはどこか弊害可能性があるのではないかという気がしてきた。かといってレンタルを全否定するわけではないが、レンタルする際にはある程度の取り組み方を考えておいた方がよいのではないかという気がしてきたのであった。
  

Posted by 忍者 悟 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)社会

2007年03月21日

「競争過剰→費用削減→品質低下」という連鎖可能性

 
生コンの価格は、出荷量が多い場合は固定費の負担が少なくなるので、出荷量が多いほど利益が多く見込めます。つまり、計算上は、固定費が低減した分の値下げは可能です。ところが、出荷量に応じて設備の消耗度も増すため、部品の交換に掛かる費用や補修費は増加します。つまり、出荷量が増えたからと言って、すべてが利益に結びつくわけではありません。この増加分を正確に把握できていない工場があるためか、出荷量を増やせば儲かると早とちりして、安売りによる出荷量の増加を目指す工場が見受けられます。薄利多売の実践です。
 一方、出荷(製造)量が増えると、その分、部品の消耗度も増すため、部品の購入費や修理費などが増加し、削減できたはずの固定費が思いのほか下がらないため、結局は赤字になる場合もあります。さらに、この赤字を補填するために、材料費を削るなどの「質を落とす暴挙」に出る工場もあって、生コンの質が低下します。意図的に質が落とされているため、中には建物の質が落ちることもありますが、生コン工場の責任は、「荷下ろし地点で採取したテストピースの強度」のために、それさえ満足していれば「落とした質」の責任を問われることはありません。
 近年は、これに悪乗りする建設会社までがあるようです。建物の引渡し当初は、タイルや壁紙や床材ですべて覆われるために、ひび割れの発覚が遅れる事を幸いに、「工事単価を削減できる手段はすべて合理化」と、はき違える業者もあります。おそろしいことに、このことは公共工事を含めた、多くの工事に共通していることなのです。まさに、社会全体が、この「安物買いの銭失い」に晒されているといえます。
 このような図式は、構造物の実体検査が行われていないために、心無い業者によって繰り返されているものですが、この図式による直接の被害者は一般社会であり、安値合戦に敗れて仕事を失った、品質意識の高い建設業者と生コン工場です。これは由々しき社会問題です。早急に、実体品質を検査するなどして安値取引に起因する品質低下問題を明らかにし、早急に改善する必要があります。〔著書 図解入門 よくわかる最新コンクリートの基本と仕組み〕

 近年では競争は良き事をもたらすとでもいう風潮があるように思える。競争は何もかも悪いとは思わないが、競争によって考えうる弊害を念頭に入れて置くのが大事なのではないかと思う。上記の引用を自分なりにまとめてみれば、「競争過剰→費用削減→品質低下(それによって、品質意識の高い業者・工場などが苦しくなる)」という連鎖可能性があると思われる。
 では、品質意識の低い業者・工場のみが悪になるのかといえば、そうとは限らないと私は思う。悪しき連鎖関係を無視や放置や助長といったものが存在するという事であれば、そこには政治責任が発生するものとしなければならないのではないかと思われる。
  

Posted by 忍者 悟 at 00:00Comments(0)TrackBack(1)社会

2007年03月19日

格差・平等の四分類~公平を探して~

 最近、格差問題を考えるにあたって、このような事を考えていた。
 まず、「格差」の対極にあるものを「平等」としよう。そして、「格差」と「平等」をそれぞれ二分類して、「悪い格差・良い格差・良い平等・悪い平等」と四分類する。そして「良い格差・良い平等」の事を「公平」と呼ぼう。
 そこで思うに、右派は「格差」の方に目を奪われがちで「良い平等」についての事がおろそかになり、左派は「平等」の方に目を奪われがちで「良い格差」についての事がおろそかになるのではないかという気がする。
 私が思うに、大事なのは「公平(良い格差・良い平等)」なのではないかと思う。そこで思うに、格差問題を考えるのあたってはこの「公平」をどう見定めるか、何を以って「公平」と言えるのか、そういった事が大事なのではないだろうかと思う。
  

Posted by 忍者 悟 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)社会

2007年03月06日

「日本語とパソコン」の感想

 将棋の本に「読みの技法」というのがある。
 それがどういう本なのかという事について軽く書けば、島氏がとある将棋の局面を羽生氏・佐藤氏・森内氏に見せて、その局面をどう考えるか、自分ならばどういう手を指すかといった事などを披露する。ちなみに、島氏はインタビュアーとなり、羽生氏・佐藤氏・森内氏の三氏はお互いがどういう考えであるかは知らされないようにする。(ちなみに、最近では私はプロ棋士の現在の段位が分からなくなってきているため、段位ではなく氏で統一した)。
 ちなみにその本は手元に置いてないで話しているわけだが、確かその本である棋士が「本を読んでお互いの読みをみて参考になった」とでもいうような事が記されてあった。
 私と汗だくさんとえいじさんの「同日同時刻同テーマ」の企画でそれを思い出し、そういうのがあって、私としては楽しみであった。
 というわけで、今日は今回のテーマである「日本語とパソコン」の感想を書いてみようと思う。

 まず以って思った事を言えば、汗だくさんとえいじさんは「日本語」についてよく触れられているなと。私の場合は、「日本語」よりも「パソコン」の方に文の比率としては重きがかかっているように思う。
 何故に私はそうなったのかといえば、「日本語」の方についてもっと書きたいことがあったが、うまくまとめるまでに手間取って止めた。うまくまとめる時間があればまた書こうと思っている。
 もう一つは、「日本語」についてうまくまとめられるほどまでの考察が自分にはさほどなかったのかという気もした。

 その他に思った事を書く前に、以下に三氏のブログから以下引用。

 
ではどのようにしたら人間は幸福になれるのであろうか。
 それは一概には言えないであろうが、とりあえず私の思い浮かぶものを言えば、それは一見においてどうでもなさそうに思えるものに気づき、それに対し喜びや面白味を見出す感性ではないか。〔探求する動物たち(忍者 悟)〕

 
 
つまり我々が、合理性が要求せんとするものを、いくらかでも跳ね除けるだけの、
身のほど知らずの愚かさを、一体どのように調達すればよいのだろうか。
そのためには日本語環境が、より美しく、より魅力的なものでなければならないはずだ。〔亡国の唄を聞け(汗だく)〕

 
 
「情報」を有用か無用か高い次元で判断する(=不要なものを切り捨てるある種非情な行いが許される、説得力を持つ)「主体」は様々な経験を経たことでしか獲得し得ないのだから。〔ものぐさ言行録(えいじ)〕


 そこで思う事を書けば、単にパソコンを好意的な面から見るのではなく、それによって問題が生じるのではないか、といったあたりが共通点になるのではないかと思った。
 そこで持ち出されたのは、「感性」、「美しさ」、「経験」といったところであろうか。  

Posted by 忍者 悟 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)社会

2007年03月03日

日本語とパソコンというテーマで。

 えいじさん(ものぐさ言行録)と汗だくさん(亡国の唄を聞け)とチャットし、「とあるテーマで、同日同時刻でブログ更新してみてはどうか」といった話をした。
 そこで今回、テーマが「日本語とパソコン」となり、書いてみた。


 1、「日本語とパソコン」とは何なのか。

 今回書くテーマは「日本語とパソコン」のわけだが、では「日本語とパソコン」というテーマが何故にだされたのであろうか。まず以って、このテーマの意味が私には解らないのであった。
 そこでとりあえず、グーグル検索で「日本語とパソコン」で検索してみた。すると、それを示唆すると思われる一文が見つかった。それを以下に引用する。

【なぜパソコンを英語で学ぶのか?】
ITと英語は切っても切れない関係にあります。IT技術の多くは欧米発のテクノロジーで、IT・コンピュータ用語のベースは英語によるものがほとんどです。実際IT用語は「プロパティ」や「TCP/IP」のようにカタカナやアルファベットによる表記によるものが多く、日本語では馴染みがなく理解しにくものです。
いっそ英語で学習した方が、その語源の意味や背景を理解する事により「生きたスキル」となるのです。
実際日本人IT技術者でも、英語の方が理解しやすいとの理由から、あえて英文技術書を選ぶケースも多いと言います。
国際化が進み海外留学や、インターンシッププログラムを通して海外に出る日本人も飛躍的に増加しております。
また、仕事においてもホテルマンや航空会社の客室乗務員をはじめ、外国人と接する職業の方も多くおられます。
このような事から、海外でパソコンを使う機会や、外国人からパソコンについての質問を受ける機会も増えています。

 どうやら、IT技術を学ぶには英語の方がよいのではないかという考え方があるようだ。
 またワープロにおいては、英語はアルファベットであるが、日本語は大量の漢字の処理の問題があったという。
 そのように考えると、日本語はパソコンと相性が悪いのだろうかと思われた。


 2、パソコンは人間を幸福にするのだろうか。

 自分なりにいろいろと調べていくうちに、私は「パソコンは人間を幸福にするのだろうか」という問いが頭によぎった。
 というのは、日本人が英語を学びIT技術を学び、そしてIT技術が進歩したとしよう。それで仮にであるが、IT技術が進歩した結果に人間が不幸になるのであれば、何のために英語を学んだりIT技術を学んだり進歩させるのかという話になってくる。
 だが別に、パソコンは必ずしも人間を不幸にするわけでもないだろう。例えば、包丁というものがあるが、包丁は料理を作るための道具であるが、反面において人を殺傷する道具にもなりうるし、それは場合によって幸福にも不幸にも導く。そしてそれに同じような事がパソコンにも言えるのではないかと思う。
 となれば、パソコンは幸福に導き不幸を退けるものになったら好ましいのだろう。だがそれは一体どれほど議論されたり主張されているのであろうか。
 全く議論されていないわけではないのであろうが、このままIT技術が進歩させていくのであれば、この事はよく考えていかなければならないのではないだろうか。そうでないのであれば、我々は知らず知らずのうちに不幸へと導かれ、技術の波に押し流され我々は漂流していくのかもしれない。となれば、その波に押し流されないための防波堤を築堤しようという考えや意識が大事になるのではないか。

 3、幸福のための感性

 ではどのようにしたら人間は幸福になれるのであろうか。
 それは一概には言えないであろうが、とりあえず私の思い浮かぶものを言えば、それは一見においてどうでもなさそうに思えるものに気づき、それに対し喜びや面白味を見出す感性ではないか。
 それを私の経験から言おう。私の趣味の一つはプロ野球観戦であるが、子供の頃は特にプロ野球観戦には興味がなかった。そしてどういうわけかプロ野球観戦が趣味になったわけだが、子供の頃を現在と比べると、子供の頃では気づかなかった事が今では気づき、そしてそれが面白く感じられるようになっている。
それともう一つ言えば、将棋の段位者とそうでない人とがいたとして、そのどちらが将棋を楽しむ事ができるかと考えたら、普通は、段位者の方が将棋を楽しめるのではないかと思う。
 だからといって別に私は誰もが野球と将棋に持つべきだと主張したいわけではない。ただ思うに、このように楽しみや面白味を感じとる感性を有すれば、人生は楽しくなり、幸福へと導いていくのではないかと思う。かといって、誰もがプロ野球ファンでもないし段位者ではないから、この世にあるものを楽しみもうと欲するならば、本を読んで調べるなり想像したりするなどの鍛錬が必要なのであろう。そしてそうした意識や鍛錬は大事なものではないかと思う。
 そしてそれを大事にすれば、チェスタトンの言う「正統は何かしら鈍重で、単調で、安全なものだという俗言がある。…だが実は、正統ほど危険に満ち、興奮に満ちたものはほかにかつてあったためしがない。正統とは正気であった。そして正気である事は、狂気であることよりもはるかにドラマチックなものである。(著書 正統とは何か)」とでもいう境地に辿り着けるのではないか。というのは、私が上記で述べた事は一種の精神安定剤のように私には思えたからである。もう少し言えば、それが狂気の誘因を退け正気に落ち着かせるものになっているのではないかという事だ。そしてそれにより、ホイジンガの言う「小児病(引用文は別窓)」から逃れられるのではないかとも思う。そこでついでに私見を申せば、この事は現代のいわゆる保守派は軽視していると私は思っている。
 ともかく、そうした事がパソコンで可能であろうか。といっても私にはパソコンには詳しい知見があるわけでもなく、知っているとすればインターネットぐらいなものである。というわけなので、インターネットの観点から考えてみたいと思う。
 インターネットは様々な情報が存在しまたは飛び交っているので、我々が気づかなかったり知らなかったりする事を気づいたり知るための道具となり、感性鍛錬の道具や手段とのだと思う。だが一方で、情報の信憑性の問題や、中には単なる私的事柄の発散のためのものと利用され、有害であるものが噴出する可能性も有している、といったものではないかと思う。
 それと思うに、今後もインターネットはどんどん普及して行くのであろうが、普及していく分だけ良い意味でも悪しき意味でもその可能性は広がっていくのだろう。  

Posted by 忍者 悟 at 03:00Comments(5)TrackBack(2)社会

2006年10月06日

【植草事件】事務所からセーラー服が見つかった件について

 昨日の朝、テレビのニュースで植草氏の事務所からセーラー服が見つかったと聞いた(参考 日刊スポーツ)。

 グーグルニュースで「植草 セーラー服」で検索したが、検索に掛かるのは一件しかないのが気に懸かるのだが、それはともかくとして、そのニュースを見て私が思った事を言えば、事務所にセーラー服があったという報道を何故にするのだろうか。

 植草氏の事務所にセーラー服があったという事であれば、一般的に言って、その趣味・性格はどうなのかとは思われるところなのであろう。だが、別にセーラー服があったからといって痴漢をした証拠になるわけではないだろう。せいぜい言えそうなのは、痴漢をしたのではないかという疑える、といったところにとどまるのではないか。

 それともう一つ不思議だと思うのは、何故に植草氏の事務所を捜索したのかという事だ。事務所を捜索したのは嘘話ではないかと頭によぎったりするが、それはさて置く。ただ何故に私がそう思うのかと言えば、といっても単純な理由だが、殺人事件ならまだ分かるが、事務所を捜索したところで痴漢をした証拠など見つかるとは思えないからだ。

 ...と、そう書いて置きながらも今思ったことを言えば、事務所の捜索で盗撮した写真だとかそういうのが見つかるのではないかと思ったという事なのであろうか。

 だとするならば、植草氏が痴漢をしたという証拠は見つかっていないという事ではないかと思う。  

Posted by 忍者 悟 at 04:18Comments(3)TrackBack(1)社会

2006年09月16日

【植草事件】 「酔って覚えていない」とは何に対しての事なのか。

 最近、アクセス数が急上昇しました。何故にアクセス数が急上昇したのかというと、分かる人には分かっているかと思いますが、植草一秀さんの痴漢事件に事について、です。

 というわけで、その事について今日は書こうと思う。

 ニュースを見ると、植草さんは「酔って覚えていない」と言ったそうです。で、その事についての私の疑問は、それは何に対して酔って覚えていないのか、という事です。

 というのは、仮に植草さん、もしくは私でもこのブログを読んでいる人でもいいですが、痴漢をして捕まったとして、嘘をつこうと思ったとしましょう。その時、「貴方は痴漢をしましたか?」という質問に対して、「酔って覚えていない」とは普通答えないと思うんです。嘘をつくにしても、「していません」とか、そう答えるのが普通だと思う。

 嘘をつくにしても、「酔って覚えていない」といって、何か得があるんでしょうかね。

 だから、植草さんが「酔って覚えていない」というのは、「飲み会でどんな会話をしましたか?」とか、そういった類の質問に対しての答えではないか、と私は思ったりするわけです。

 ただそうは言っても、私はその現場を実際に目撃したわけではないですし、これは私の想像や憶測の類でしかないのでしょう。だけどもこのように考えると、現段階のマスコミの情報だけでは、植草さんが痴漢したとかしてないとかという、はっきりとした判断はできないんじゃないか、と私は思うわけです。

 私という人は植草事件と鈴木宗男事件について無実・擁護をブログで書いてきた人だから、こうしたマスコミの情報だけで痴漢したのかしていなのかと判断するのはどうか、と思うわけですね。

 ではどのように判断するのかというと、マスコミ経由の情報だけではなく、実際に本人はどう主張しているのかという情報、それが大事になるのではないかと思います。マスコミが正確な情報を伝えていない可能性があるわけだから。

 その他としては、伝えられている情報の話の辻褄が合っているとか合っていないとか、そういうのを考慮するのが大事ではないかと思います。

 で、実際に本人はどう主張しているのかという事については、現段階においてはまだ正確ではっきりとした情報は無いわけでしょう。時間が経てば植草さんに主張する機会なり情報が出てくるでしょうから、それまでは植草さんが痴漢したかしていないかについてのはっきりとした事は分からない、というのが現段階で私の思うところであります。

 そういう情報を得られたら、ブログに書いていこうと思っています。  

Posted by 忍者 悟 at 17:35Comments(6)TrackBack(0)社会

2006年06月10日

アイドル社会論

 私は中学生の頃、どういうわけだかヤクザ漫画を愛読していた。そんな自分が小難しいというか、そのような内容のブログを書いているわけであるのだから、なんだか不思議な感じが私にはしてくる。

 はてさて、昨今では村上ファンドについて騒がれているようだ。私が村上ファンドについて思う事を言えば、ヤクザ的な感覚というのか義理人情的な感覚というのか、そういうのが感じとれないなと私には感じるのである。その意味で、村上氏は私にとっては面白味の無い人のように思えてしまったりもする。

 そして思うに、ヤクザの世界ほどではなくとも、日本の社会全体にはある程度の義理人情的な世界があったのではないか、と私は思う。身内の人間を守るというか庇うというか、そういうのが存在していた。それによって悪弊もあったのではないかとは思うが、ともかく、そういうのが村上ファンドやホリエモンからは私には感じない、という事である。

 それと政治の世界でもそのような事が生じているのではないかと思う。それは郵政選挙の時…まるでヤクザのような顔をした政治家がいたが、そうした人物が自民党を離党する羽目になった。

 こんな事を書くと、なにやら失礼ではないかと私自身思ってしまうが、私にとってはこのように思える現象を見てしまうと、これらの現象が、今の時代を象徴しているものになんだか思えてしまうのである。  
続きを読む

Posted by 忍者 悟 at 02:31Comments(0)TrackBack(0)社会

2006年05月21日

建設業の改革を考える〜慎重な議論〜

 3、4年前ぐらいの話になるのだろうか、小泉首相は大手ゼネコンが倒産したときに「改革が進んだ証拠だ」と言ったのだという。そして昨今では、耐震偽装設計問題が取りざたされている。

 また、建設業の景気は良いとは思われない。最近、ゼネコンが設備投資を拡大して景気の良い話もあるようではあるが、一方で建設業の農業参入の話を聞く。それと、私は建設業が病院経営するといった話も聞いた事がある。だから私が思うに、建設業全体としては景気が良いとはいえず、幾分か改善したところがあるとしても、建設業全体としては景気が悪い状況であると思われる。

 近年の建設業を巡る話題には、これといって良いニュースは聞かれない。そしてまた、私が上記で述べた話を知らなかった人もいるのではないかと思う。知らない人が多いという事であれば、それだけ建設業は見向きされていないと言えるのではないだろうか。

 そこで本日は、建設業の改革を考える。  
続きを読む

Posted by 忍者 悟 at 14:06Comments(0)TrackBack(1)社会

2006年05月08日

近況と、軽く格差社会のことについて。

 最近、某チャットで私は「ブログで、格差社会をテーマにして書こうと思っている」と言った。

 そして今現在もまだ書き途中。いつになく長い文章になってしまい、現在、ワードで6枚分(40×36字)まで書いてある。にもかかわらず、いつになったら書き終える事ができるかというメドも立ってない。

 その間、ブログが止まり続けているのもあれかなと思うし、またチャットでその事を聞いて私のブログを見ている人がいれば悪いかなという気もしてきたりもするので、軽く格差社会について書いてみると、私が思うに、格差社会と呼ばれる現状は、社会構造とかの問題というよりも景気の問題に大きい要因があるのではないかと思う。

 そこで景気はどうなのか構造はどうなのかと言えば…あれやこれやと考えて書くうちに、今現在ワード6枚分。それらの事に対しては、後日。  

Posted by 忍者 悟 at 17:03Comments(4)TrackBack(0)社会

2006年03月18日

「西尾幹二のインターネット日録」の「つくる会」顛末記の感想

 西尾幹二氏のブログ「西尾幹二のインターネット日録」の「つくる会」顛末記を読んだ。

 率直な感想を言えば、組織がボロボロだな、とそう感じた。

 つくる会の理念が素晴らしいものであったとしても、この西尾氏のブログを読むと、私自身はこんな組織に所属したいとは思わない。

 誰が悪かったとか悪くないのは私の知るとこではないけれど、こんな事が語られているという事なのだから、これはもう組織がおかしいという事だろう。  

Posted by 忍者 悟 at 12:05Comments(3)TrackBack(0)社会

2006年02月03日

談合のドンに聞く 平島栄氏インタビュー

 談合の事を調べていたら、こんなサイトを見つけた。なかなか面白い。上、中、下と三部に分かれている。

 というわけで、以下に貼り付け。

[談合のドンに聞く 平島栄氏インタビュー]:http://www.kobe-np.co.jp/news_now/dangou-022.html  

Posted by 忍者 悟 at 17:10Comments(0)TrackBack(0)社会

2006年02月02日

皇位継承問題と少子化

 側室制度(一夫多妻制度)は何故にあったのか。私が思い浮かぶのは、皇統を絶やさないようにするためという事だ。たくさん産めば産むだけ、皇統が途絶える可能性を減らす事ができる。

 だが、ウィキペディアによると側室制度は昭和天皇の決断によって廃止されたのだという。

 そこで何故に廃止されたのかと考えると、私の想像だが、天皇というのは国民の象徴であるという点で考えれば、天皇という存在を国民に言わば承認してもらわなくてはならない。そしてそのために側室制度(一夫多妻制)を廃止したのではないか、という事だ。

 …などと考えて行くうちに、日本人の過去と現在の恋愛感もしくは結婚観、そして現在の皇位継承問題と少子化問題に何か繋がってくるのではないかという気がした。というわけで、書いてみようと思う。  
続きを読む

Posted by 忍者 悟 at 05:24Comments(0)TrackBack(0)社会

2006年01月26日

一般的には知られていない植草一秀氏の事件の話

 最近、私のブログに「植草一秀」で検索されてくるのが多くなったから、何かあったのかなと思った。どうやら、「植草一秀氏が客員教授に…名古屋商科大大学院が招聘」というニュースがあったので、それで多くなったようだ。

 そこで、「一般的には知られていない植草一秀氏の事件の話」と題し、本日は書いてみようと思う。

 書くにあたって、関連・参考にしたサイトを以下。

 スリーネーションズリサーチ株式会社
 植草一秀氏は無実だ:植草一秀氏情報
 植草一秀氏を応援するブログ  
続きを読む

Posted by 忍者 悟 at 23:47Comments(3)TrackBack(0)社会

2006年01月22日

失われた10年のツケ

 報道2001でホリエモンの話がでてきて、「今、倫理・道徳がなくなってきた」みたいな事を話してた。

 倫理・道徳がなくなってきたのは、それは「失われた10年」を招いたからなんじゃないかと。

 バブル景気→バブル崩壊→長期不況...これらをどのように捉えるかはいろいろとあるのだろうが、これを仮に「バブルに浮かれていた」とか「日本の構造に欠陥があった」と単に捉えたとしよう。

 つまり、この失われた10年を招いた大人たちが「倫理・道徳」と言っても、その影響を喰らった若者が耳を貸すのかどうかと。

 そのように見れば、ホリエモンなるものが生まれるのは、別段それは不思議な事でもないんじゃないかな、と。

 別にホリエモンを応援したいわけでも文句言いたいわけでもないが...ともかく、今まで社会の中心を担っていた人たちを「旧体制」としよう。

 その旧体制の信用低下が、ホリエモンを生んだのではないかと。

 その時代での責任を全う出来なかったとき、何年後かに災いとなって現れるのではないかと...時代のツケが回ってくるわけだ。そのことにはよくよく注意せねば...。

 ...まあ、これらは私の雑感ではありますけどもね。  

Posted by 忍者 悟 at 08:41Comments(8)TrackBack(0)社会

2005年12月25日

談合を考える。

 12月22日、小泉首相は首相官邸で自民党の中川秀直政調会長と会談し、官製談合防止法の改正法案を議員立法で次期通常国会に提出するよう指示したのだという(http://www.asahi.com/politics/update/1222/013.html" Target="_blank">参考ニュース)。

 はてさて本日は、談合というのを考えてみようと思う。  
続きを読む

Posted by 忍者 悟 at 08:08Comments(0)TrackBack(0)社会